台湾のなかの戦争

2012-08-15

終戦記念日だ。


台北郊外で、日本海軍の特攻艇基地が見つかったそうだ。


↓(産経新聞記事より)

第二次大戦中の日本海軍の特攻艇「震洋」の格納庫跡が、台北市郊外に現存することがわかり、保存の検討が始まった。交通部(国交省に相当)観光局では今夏、関連施設跡地の整備に乗り出したばかり。8月中には震洋特攻隊の記録ビデオも完成する予定で、関係者らは「戦争の記憶を後世に伝えたい」と話している。


(中略) 震洋特攻艇は大戦末期の海軍が特攻機不足の中で導入したベニヤ製1人乗りモーターボート兵器。艇首に炸薬250キロを搭載し体当たりする。台湾では実戦使用されなかった。


私事だが、父の兄が海軍の特攻潜水艇「回天」においてオーストラリア近くの海上で亡くなったと聞かされて育った。

伯父は23歳だった。


優秀な人だったらしく、私が学校の成績がいいとき、父はよく、

「おまえは、伯父さんと同じ血が流れているからなぁ」

と、誇らしげに言っていた。


父は毎年、桜の季節になると、知覧の特攻基地を訪ねた。

「この人たちのことを、絶対に忘れちゃいけない」と。


戦争というのは、なんと恐ろしい兵器を考えだすんだろう。


台湾でのモーターボート特攻機は使われることはなかったが、台湾には、日本兵として戦い亡くなった人、大陸や南方で戦った人、訓練を受けた人、日本で戦闘機を作っていた少年たちなど、多くの戦争に関わった人たちがいる。


人々の心のなかの戦争は終わっていない。

取材をするたびにそう思う。


もっと話を聞きたい。

父もいなくなったいま、そのときの真実、そのときの気持ちを教えてほしい。

時間は限られているけれど・・・。

MAYUMIの旅びと生活。

↑ルカイ族の村、霧台で会った老人は、高砂義勇隊として南方に行ったことがあるという。その後、村から多くの志願兵が出て行ったが、ほとんど帰ってこなかった。


空を指さして、「この村にもアメリカの戦闘機がやってきて、あのあたりを飛んでいた。大きな音がして、それはもう、怖かった・・・」

「南方であったこと? それは日本国との約束だから言えない。墓場まで持っていくよ」

日本語で穏やかに言った。



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