新聞社・「台湾支局」事情

2011-06-08

今日も暑かった。
森の中にあるような大学なので、セミが一斉に鳴いている。
夏だ~。
台湾は、旧暦の端午の節句(今年は6月6日?)が終わると、長袖をしまおう!
ということになっているらしい。
確かに、その通り。外では長袖なんか着ていられない状態。
やっと、今期の発表が終わり、ほっ……
あとは、レポートだけ。
今日のほかの学生の発表も興味深かった。
ひとつは、日本統治時代の高雄市について。
よく行っている海のそばの街。いつも、かき氷を食べに行く街。
それが日本人街だったことを初めて知った。
昔は、山の上に大きな鳥居があって、街のシンボルだったらしい。
もうひとつは、台湾と中国をめぐる新聞社の動きについて。
ちょっとだけ説明すると……
中国は、文化革命時期に、朝日新聞を除く、すべての日本の新聞社を国外追放した。
その後、北京支局を開設することを認めたが、その条件は、台湾に支局を置かないこと。
中国にしてみれば、「“ひとつの中国”なんだから、台湾を認めちゃダメ」ということなんだろう。
産経新聞以外の新聞社は、この条件を呑んで、北京支局を開設。台湾からは撤退した。
産経新聞は、中国の要求を拒否して、北京には支局を置かず、台北に支局を置く。
したがって、70年代~90年代の台湾ニュースや、深い取材は、産経新聞の独壇場だった。
(中国に媚びていなかったため、逆に中国の詳しい情報を伝えていたという話も)
ほかの新聞社は、なにか事件や選挙などがあるとき、香港から記者がかけつけた。
そして、90年代後半、産経新聞が、いよいよ北京支局を置こうとしたとき、中国側が突きつけた要求は、
北京を「中国総局」、台北を「台湾支局」とし、台北支局を北京総局の下に配置すること。
(といっても、実質的には、それぞれ“支局”なんだけど)
産経新聞社は、これを台北駐日経済文化代表処の駐日代表に相談。
代表は、「いいんじゃないの。それで」(言葉は定かではありません)と了承。
1998年、産経新聞の“中国総局”は開設された。
ほかの新聞社は、それを見て、
「へー。それでいいんだ。だったら、うちも、台北“支局”を出すよ。
 だって、台湾の情報は重要だし、欲しいもん」
ということで、次々と、これに習って、台北“支局”を設置。
それまで産経1社しかなかった日本メディアの支局は、一気に10社以上となった。
当時の駐日代表がメンツにこだわっていたら、きっと、いまも日本メディアは、一社のままだったかもしれない。
この問題は、まだまだ根が深そう。
簡単には書けない問題だけど、読んでいる人に、ちょっとでも興味をもって欲しくて、今日はあえて書いてみた。
教えてくれたRちゃん、ありがとう!


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