西拉雅(シラヤ)の旅51 【式典の裏側】

2011-05-09

八田與一記念公園オープン式の前日。
現地で、陳彩宮さんという94歳のアゴンと偶然、出会った。
陳さんは、当時、ダムの工事のため、この場所に住んでいた。
技師や作業員の宿舎の復元は、半分ぐらい、陳さんの記憶がもとになっているという。

MAYUMIの旅びと生活。

陳さんと奥さんとご家族。
陳さんの結婚式には、「八田さんの家族が、家内に化粧をしてくれたよ」。
「ここは、テニスコート、その横に事務所があって、防空壕があって・・・・・・・。みんなでお祭りもして、賑やかだった」
と、おしえてくれた。
周囲は、式典のリハーサルで大忙し。いつも一緒に旅をしているシラヤ観光局スタッフも、中心になって、あれこれ指示を出している。
特に、活躍しているのは、蔡先生が率いる呉鳳学院の日本語ボランティアチーム。90人以上いるという。
よく訓練されていて、うろうろしていると、すぐに「なにかお困りのことはありませんか」と声をかけてくれる。

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こちらは、馬総統や森首相を案内するVIP控室。
胡蝶蘭もみごと。

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下の船の模型は、日本郵船から寄贈された「大洋丸」のもの。
八田氏は、1942年5月8日(つまり式典の日が命日)、この船上で亡くなった。
南方開発要員として、フィリピン経由、シンガポールに向う途中で、米艦の雷撃を受けて、積載されたカーバイドに引火。船は火の海となって、数十分で沈没。乗客660名、乗組員157人の817人の尊い命が失われた。
八田氏の亡骸は、偶然、対馬の漁師によって発見され、台湾まで運ばれて、埋葬された。
そして、1945年、外代樹夫人も、夫の後を追って、八田氏の建築した烏山頭ダムの放水口に身を投じる。
人身御供(事故や災害が起こらないよう、神への供え物として人間の体を捧げること)として決意の自害ではなかったかといわれている。
八田氏は56歳、外代樹夫人は46歳だった。
八田氏と外代樹夫人が共に眠る墓は、当時、台湾の人たちがわざわざ花崗岩を取り寄せ、日本風に造ってくれた。
いまも、台湾の水利局で管理され、多くの人からの千羽鶴やお花などが絶えない。

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さて、式典当日は、学生たちが、キビキビと動いていた。
私も一緒に、お弁当をいただく。
ちょうど夏用の絽の着物をいただいたので、八田夫妻に敬意を表したいという気持ちで、和服で参加。
後ろの防空壕は、当時のものが、そのまま残っている。

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